BUN HACK

社会を知らない若造が、起業して世界へ羽ばたきます。

中卒社長のぶんちんについて

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皆さん初めまして!中卒社長のぶんちんです。

 

本名は「須藤文太(すとうぶんた)」と言います。

 

みんなからは「ぶんた」とか「ぶんちゃん」って呼ばれています。

 

インターネット上では「ぶんちん」という名で活動しています。

 

平成12年の4月24日生まれで、年齢は19歳、身長174cm、体重85キロのデブです。

 

おまけに顔はブサイクで、よく自分とにらめっこをしています。

 

好きな食べ物は寿司、焼肉、ラーメン、焼き鳥など沢山あります。

 

嫌いな食べ物はアボカド、ドリアン、にんじん、酢の物です。

 

特技は人を笑顔にすることとお金を稼ぐことです。

 

趣味は映画鑑賞とブログ執筆とお笑いを見ることで、好きなお笑い芸人はサンドウィッチマンと東京03です。

 

株式会社ぶんちん』の代表取締役社長で、読者数850人越えの雑記ブログ『BUN HACK』を運営しているブロガーでもあります。

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ブログ歴は1年と10か月で、『BUN HACK』では僕が普段考えていることやネットでお金を稼ぐ方法、ビジネスのアイディアなんかを投稿しています。

 

中卒なので偏差値は30くらいです。

 

『質問チケット』というWebサービスを提供しようとしています。

 

ちなみに彼女はいません。好きなタイプは一緒にいて楽しい人です。

 

ざっと僕の自己紹介をしたところで、ここからは、

  • 僕が生まれてからネットビジネスに出会うまでの経緯と、
  • 僕がネットビジネスを始めてから今に至るまでの経緯を、

2つにわけて詳しくお話していきたいと思います。

 

まず、僕が生まれてからネットビジネスに出会うまでの経緯をお話します。

※1年半前に書いた文章です。文章の書き方・表現方法が異なります。ご了承ください。

この世に生まれた僕

2000年4月24日午後4時38分。3302グラムという至って健康に僕は生まれました。しかし僕のお母さん曰く、僕の出産は相当大変だったみたいです。何故大変だったのかを聞いてみたら、僕の頭は他の赤ちゃんより一回り大きく、産む際に頭がつっかえてなかなか生まれず、結局のところ看護婦さん2人がかりでスッポンと呼ばれる吸引器?を頭に装着して引っ張り出したとのこと・・・ちなみにスッポンというのは、トイレのつまりを解消するために用いる道具みたいです。

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僕の名は文太と名付けられました。名づけの由来は、父の名前と母の名前を一つずつ取ってくっつけたことが由来だとお母さんは言っていました。その後僕は大きな病気をするわけでもなくスクスク育っていきました。しかし幼稚園に入園したころ、2大事件が起きたんです。

顔面血だらけ事件

僕の幼少期は今の家ではなく、小さなアパートに住んでいました。そのアパートの近くには結構広い公園があり、いつもそこで友達と遊んでいました。遊びの内容は鬼ごっこだったりかけっこなどでした。その日も友達と何ら変わりなく公園で遊んでいた時、友達が「かけっこしない?」と誘ってきました。

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僕は走ることが大好きだったので快く「やろうやろう」と承諾し、地面に木の棒で線を引いて「よ~いどん!」の掛け声でかけっこが始まりました。久しぶりのかけっこだったこともあって、張り切っていた僕はあまり前の方を見ずに走っていました。50mぐらい先のゴールが近づいた時です。ゴールの手前にあった小さな石につまづき顔面からスライディング。事の次第にあまり理解できなかった僕は、駆け寄ってきた友達に手を差し伸べれらて起き上がりました。「大丈夫?」との問いに、僕は「大丈夫!」と友達の顔を見ました。そしたら「うあ~~~」と叫びをあげて逃げていきます。「え?え?」と近くのトイレに駆け込んで鏡を見てみると・・・顔面真っ赤。血だらけなんです! でも全然痛くないんですよ(笑)あまりの光景に驚いてしまい痛みを感じなかったんです。その後はお母さんに連れられ病院に行き消毒してもらい顔中にガーゼを貼られ帰宅。人間という生き物は不思議なもんで落ち着くと事の次第に理解でき、それまで感じなかった感情が湧いてくるんですよ。で、その感情というのは「痛い」というシンプルな感情。もうただ「痛い」というより「激痛」ですね、しかも顔面全体。でも日にちが経つにつれけがも回復し、無事治りました(^^)/ しかしあの時の自分の顔は今でも忘れられません。

幼稚園逃走事件

僕はとても幼稚園が嫌いでした。いや嫌いではありません。大っ嫌いでした。いくつか理由がありますが、お母さんと離れることがすんごい嫌で、いつもバスに乗せられる時が恐怖でしかありませんでした。知らない大人、そして知らない幼稚園児。そうです!僕はお母さんが大好きだったんです。そしてその時は訪れました。いつものようにお母さんに連れられバスの停留所へ。そして知らない人に連れられて無理やりバスに乗せられ幼稚園へ。もうこの時点で無理だった僕は、幼稚園児の頭で、幼稚園児なりに考えました。「どうしたら帰れる?どうしたら帰れる?」そして思いついてしまったのです。
「そうだ!脱走すればいいんだ!」こう考えた僕は、幼稚園についたらトイレに行くふりをして脱走を試みました。しかし、あと少しで門の外に出られるところであっけなく園長先生に確保。そして戻されました・・・もう悔しかったです。あと少しあと少しだったのに・・・でも今となってはいい思い出です(^^♪ 

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すんごいコ

暗黒の小学生時代

暗黒です。何が暗黒かと申しますと、一言で言えばゲームを買ってもらえないことに対する父への反感そしてみんなの輪に入れないさびしさ、そして悲しみ。「自分だけDSがない」ただそれだけを考えていました。

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そしてクラスの女の子からも「ぶんちゃんって、DSもwiiも持ってないの~???やば~い」と僕の心にくぎをさす言葉を放たれてから、我慢我慢我慢ずっと我慢してきました。友達にゲームの誘いを受けたら「塾があるから無理」と嘘をつき、「なんでDS持ってないの?」と聞かれたら「壊れた」とまた嘘をついてきました。そうでもしないとやっていけなかったんです。そして小学5年生になり、突如としてあるブームが僕ら小学生を襲いました

すんごいコマブーム

一つ目のブーム。それは「コマ」です。

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恐らく皆さんやったことがあるのではないでしょうか?コマってすんごく単純なんですけど、面白いんですよね~ 僕が初めてコマに触ったのはあの時でした。学校が終わりいつもの友達と下校しているとき、突然「コマやろうぜ」と誘われました。しかし、僕は当然のようにコマを持っておらず友達に貸してもらいやってみました。そしたら何ということでしょう。コマに糸を巻き付け投げる瞬間の爽快だこと爽快だこと。とてつもなく面白い。そう感じた僕はお母さんにせがみ、駅前のデパートに連れて行ってもらい買ってもらいました。確か木目調のコマだったと思います。それからというものの、学校に行ってはひたすらコマを回し、家に帰ってからもずっとやってましたね~(笑)これがまた飽きないんですよ。そして学校でのコマブームもほとぼりが冷めてきていつの間にか、コマもどこかに行ってしまいました。

第二のブーム。それはけん玉

小学校というものは、一つのブームが過ぎたら、すぐに新しいブームが発生するもんなんですね。コマのブームが過ぎ去ってから2日くらいでしょうか、僕はいつも早く学校に行く小学生で、何かと一番が好きだったんです。その日も朝早くに家を出て学校へ向かう途中、他の小学生がなにかで遊んでいる姿を見ました。その遊んでいるものというもののが、「けん玉」だったんです。

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そして、まぁその日は「けん玉」の話題でクラスは持ち切り、授業と授業の合間の10分間の休憩では、「けん玉」を持っている他クラスの子のもとへ向かい、必死に「貸して貸して」と頼んでいました。人が持っていて、自分が持っていない状況に当然納得のできない僕は、父に頼んで、父の「けん玉」を貸してもらうことになりました。それからというものの、クラスでも数少ない「けん玉所持者」の僕は、男女問わず色んな人から「貸して!」とさんざん言われ、僕の元に帰ってくる日は次の日だったりしたこともありました。まぁそんだけ使われると「けん玉」もボロボロになってきて、ついに「糸」が切れてしまい、父に怒られらたことも懐かしい思い出です。

人生で初めてのバレンタイン

僕は自分でも言うのなんですが、非常に正義感の強い子どもでした。「悪は許さない」「悪を倒す」まぁ戦隊ものの見すぎが原因なんですけどね、その当時の戦隊ものと言えば「仮面ライダー電王」「デカレンジャー」そして「仮面ライダーひびき」。特に「仮面ライダー電王」の「いいじゃんいいじゃんすげ~じゃん」という曲のセリフはいつも口ずさんでいましたね~ 

僕のクラスではある男子がいつも特定の女子をいじめていたんですよね。まぁ正義感の強い僕が黙っているわけがなく、いつも仲裁に入って、女子は遠くの方に逃がし、その男子をいつも落ち着かせていました。そしてある下校時のホームルームの際、女子たちが僕を見て騒いでいるのです。「ん?なに?」と疑問を持ちつつ、家に帰り、友達の家でゲームをしていた時、「ピンポーン」というチャイムの音が鳴りました。

友達のお母さんが出ると、こちらに向かって手招きをしています。僕と友達2人で行ってみると、いつもいじめられていた子が小包みを持っています。そしてそれを僕たちに手渡して何も言わず帰ってしまいました。僕たち2人は恐る恐る中を開けてみると「手紙」と「手作りチョコ」が入っていました。「ええええ!!なんでええええ」とまぁ驚いたものの状況を理解した僕はそそくさ家に帰り、手紙を読んでみると「いつも守ってくれたありがとう」風なことが書いてありました。

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人生で初めてのバレンタインだったので、御返しの方法もあんまり分からなかったので、とりあえず「ゴディバのチョコ」をプレゼントしました。まぁ今思えば、ちょっとやられた感じがありますが(笑)

小学6年生にして悪に染まる

小学6年生。すなわち最高学年になった僕は、ある意味で最高な小学生となりました。それもこれも2年続けて同じ担任になったことが、僕の悪に火をつけたんです。その担任は井上先生という男先生で、身長は180センチもあるいわゆる「でかぶつ先生」僕はこの先生が嫌いでした。何故か?それは必要以上に「僕をイジッてくるんです」。

僕のパーカーが教室に落ちていたら勝手に着てみたり、友達とけんかして服がボロボロになったら、その服を脱がせてこようとしたり、まぁとんでもない先生なわけです。それが1年続き、「やっとこれでおさらばだ!はっはっは」と高をくくっていたら、まさかの2年連続。もう最悪でした。

しかしその最悪感情がだんだんと「反抗」へと変わっていったんです。最初の「反抗」は学校でガムを噛んだことです。給食を食べ終わり掃除の時間が始まったころ、友達からそっと「何か」を渡されました。それはご想像の通り「ガム」です。粒タイプのガムでした。最初は「やばいよやばいよ」と拒否していたのですが、「大丈夫大丈夫ばれないばれない」と友達がせかしてくるので、「じゃあ」ともらい受け、口に運びました。

そして掃除の時間が終わり、5時限目に突入して間もないころ、井上先生が「おまえ、何食ってんだ?」と聞いていたので、給食のメニューであった唐揚げを食べていると答えました。まぁ小学生の嘘です。大人を欺けることができるわけありません。そして井上先生が僕の机の前にやってきて「出してみろ」と言うのです。僕は「嫌だ」と言っても、ただひたすら「出してみろ」と言うのです。

もうあきらめた僕はガムを口から出し、井上先生に渡しました。そしてこう言ったのです。「これが唐揚げかな?」その嫌みたっぷりの先生の発言を聞いて以来、僕は給食の手伝いをサボったり、体育の時間に友達とバカ騒ぎしたりと、まぁ悪行を繰り返していました。

そしてある日の集会で上履きを揃えなかった僕を注意した井上先生に向かって「別にいいじゃん」と言い放ちました。そしたら胸ぐらをつかまれ「ふざけんな!」と一喝。それ以来僕は改心して穏便に小学校を卒業しました。今思えば、僕のためにいろいろ言ってくれたことは間違っていなかったと反省しています。

前半陰キャだった中学時代

小学校を卒業し、新たな新天地である「中学校」へ入学しました。自分の周りはみな知らない人。超コミュ障である僕が自分から声をかけることができるはずもなく、クラスでは結構地味な生徒だったと思います。

部活はずっとやってみたかった「バスケ部」に入部。日々きつい練習をしながらも、バスケ部の仲間たちと励まし合って頑張っていましたね~ でも日にちが経つと段々とクラスにも慣れていって、少しずつですが友達も増えていきました。最初は学校の行き帰りは1人でしたが、小学校が同じで帰る方面が一緒の5人と帰るようになり、少しずつですが学校が楽しくなってきました。

しかし、中学校に入ると当然の如く勉強も難しくなり、最初の成績はオール3。その当時は「よっしゃあ全部3だぜ」なんて喜んでいましたが、成績の本当の意味を知ったころには「もう少し勉強をしていれば」と今でも後悔しています。そして人生にして初めてのある時期が訪れました

初めて人を好きになった日

僕は中学3年生になるまで、本気で好きなった人はいませんでした。そしてまさか人を好きになる日があの時だとは思いもしませんでした。遡ること夏休み前の7月。いつもはみんなと帰るはずだったその日は、何故か皆忙しく一緒に帰ることができませんでした。

そして一人で家路の道を歩いている時、目の前に小学校から一緒のMちゃんがいました。その子は僕と帰る方向が一緒のなので、たまにみかけるくらいだったのですが、その時、道には僕とM以外誰もいませんでした。M子は結構可愛くて天然な子でしたが、静かなタイプの子でした。

僕はあまり話したことはなかったのですが、超コミュ障のため、声をかけることもできず、M子の後ろを歩いていました。そして3つめの曲がり角を曲がろうとした瞬間、急にカラスが急降下してきました。M子は驚き「キャッ」と言い、僕と目があいました。とっさに僕は「大丈夫?」とコミュ障なりに声をかけました。そして2人で一緒に帰ることにしたんです。

もう心臓バクバクで、帰っている最中は、ぼくが体育祭の前の団結式で弾いたギターの話だったり、好きな芸能人など主に雑談をしていました。結局M子の家まで送り届けたのですが、その時に「送ってくれてありがとう」とにっこり微笑みながら言ってくれました。

それを聞いた僕は、M子のことだけをそれからずっと考えていました。まぁ恋ってやつです。そして勇気を振り絞って花火大会に誘ってみたんですよ。そしたら

「いいよ」って言ってくれてました!!

「おっしゃああああ」とこれまでにないほどの喜び感じましたね~

そして花火大会2週間前、再びM子の家に行って「花火大会覚えてる?」って聞いたら、

「バレエがあるから、無理かも」・・・


「えええええええ~~~」とこれまでにないほどのショックを受け無事死亡。その後は何も進展はなくいわゆる自然消滅。

そして何もなく受験勉強が始まり、受験を終え、今の高校に入学。

 

その後、僕はネットビジネスと出会い、人生が割と変わることになります。

 

次に、僕がネットビジネスを始めてから今に至るまでの経緯をお話します。

 

僕がネットビジネスに初めて興味を持ったのは高校2年生の夏のことです。

 

夏休み期間ということで、とにかく遊びたかった僕ですが、残念ながら遊ぶお金があまりありませんでした。

 

なので、アルバイトをしてお金を稼ごうと思ったのですが、当時僕が通っていた湘南工科大学附属高等学校という高校は校則でアルバイトが禁止されていて、夏休みといった長期休暇中でも申請を出して許可されなければアルバイトをすることができませんでした。

 

最初は、申請を出してアルバイトをしようと思いました。

 

しかし、超めんどくさがりだった僕は、もっと楽に、もっと働かずにお金を稼ぎたいと思い、パソコンで色々と調べることにしました。

 

そしたら、どうやら「ブログを書いてそこに広告を張ったら楽にお金が稼げる」みたいなことが書かれたサイトを見つけ、さっそく「はてなブログ」という無料ブログを使って「高校生の暇つぶし」という名の日記ブログを始めることにしました。

 

このブログでは、「今日はこんなことがありました!あんなことがありました!」みたいなことを伝えたり、近くの公園で実際に拾ってきたドングリを使ってドングリクッキーを作る過程を載せたり、修学旅行中の出来事を写真と共に振り返ったり、色々なことを書きました。

 

その甲斐あってか、最初は0だったアクセス数が5、10、15、20と増えていき、読者数も少しずつ増えていきました。

 

しかし、ブログに広告を張っていなかったので肝心のお金は1円も稼ぐことができませんでした。

 

そこで「ブログに広告を張ろう!」と思った僕は、GoogleアドセンスというGoogleが提供する広告配信サービスの審査を受けることにしました。

 

この審査に合格すると、ブログに広告が張れるようになって、その広告がクリックされると1クリックあたり35円くらい報酬がもらえるようになります。

 

そして、色んなサイトやブログを参考に見ながら、グローバルメニューを設置したり、お問い合わせフォームを設置したり、独自ドメインを設定したりして、審査に応募するための準備を整えていきました。

 

1週間くらいで準備は全て無事に終わり、ブログを審査に出すことにしました。

 

結果は見事合格し、ブログに広告が張れるようになりました。

 

広告デビューに成功した僕は、その後も記事を書き続け、ブログを始めて3か月後ぐらいには300人ほどの読者をかかえるまでのブログに成長しました。

 

読者も増えたしアクセス数も増えたし広告も張れたし、一見順風満帆なブログ生活を送っているかのように見えましたが、お金は全くと言っていいほど稼ぐことができていませんでした。

 

これにショックを受けた僕は、ブログに広告を張る以外で楽にお金を稼ぐ方法はないか探しました。

 

その結果、YouTubeに動画を出して再生数を稼げばかなり儲かることが分かった僕は、YouTuberになりました。

 

これが、その当時の動画(のスクショ)です。動画はあまりにも恥ずかしいので見せられません。

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コンセプトは「リアクションで世界を笑顔に!」で、『世界の果てまでイってQ』の宮川大輔さんと出川哲朗さんのリアクション芸をイメージして、壁にお祭りで使う紅白垂れ幕を飾って、法被を着て、とにかくリアクション重視で動画を撮りました。

 

しかし、現実は厳しく、再生数とチャンネル登録者数は全く伸びず、挙句の果てには、「登録者10人の舞」という自分史上最悪の黒歴史動画まで出してしまいました。

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おまけに、YouTubeをやっていることがクラスにバレて、かなり馬鹿にされてしまいました。

 

この一件で僕はYouTubeで稼ぐことを諦め、今まで通りブログで稼ぐことに集中しました。

 

その頃からか「広告がクリックされやすいブログを作るためにはどうすればいいのか」ということを考えるようになりました。

 

そうこうしているうちに、2017年も大晦日を迎えました。

 

僕は中学時代の友人6人と久しぶりに再会し、江の島にある神社に願掛けしに行きました。

 

そこで、おみくじを引いたのですが、そこには「人助けをするといいいことがある」的な内容が書かれていました。

 

それを読んだ僕は、「人助けをするといいことがあるなら、同じブログを書いているブロガーの役に立つことをすればいいんじゃないか?」ということで、「BUN HACK」を作りました。

 

このブログでは、ブログのアクセス数を増やす方法とか、Googleアドセンスに合格する方法とか、とにかくブロガーの役に立つ記事を書きまくりました。

 

その結果、色んなブロガーさんから「役に立った!ありがとう!」といったお褒めの言葉を多くいただき、「BUN HACK」の読者数も一気に増えました。

 

そして、ブログ運営1か月目にして8000PV&収益5000千円という大記録をなしとげることができました。

www.bunhack.com

しかし、欲の強かった僕は、「もっともっとお金が稼げるビジネスはないのか!」と思い、ネットで調べることにしました。

 

すると、自分の特技や得意なことを「商品」にして売ることができるサイトがあることが分かりました。

 

そのサイトは「ココナラ」といって、最低500円から自分の特技や得意なことを商品にして売ることができました。

 

なので、人の似顔絵を描くのが上手な人は1回500円で似顔絵を描いたり、歌を歌うのが上手い人は1回3000円で歌を歌ってあげたり、色んな人が自分の特技や得意なことを「商品」にして売っていました。

 

それを見た僕は、何か自分にも商品にして売れるものがないかなーと思って、「そうだ!ブログを書いていく上で培ったスキルやノウハウがある!」と思い、初心者ブロガー向けのコンサルティングサービスを始めました。

 

初心者ブロガー向けのコンサルティングサービスでは、ブログのアクセス数や読者数を増やす方法が分からない人に手取り足取り、半年のブログ運営で培ったスキルやノウハウを教えていきました。

 

また、僕は何かを宣伝するのが得意だったので、自分の作ったブログやサイトをより多くの人に見てもらいたいと思っている人の役に立つために、その人のブログやサイトの宣伝記事を書いたりしました。

 

その結果、初心者ブロガー向けのコンサルティングサービスは合計5人の方に利用していただきました。

 

僕のコンサルティングを受けた人の中には、塾の講師だったり、整体師だったり、不動産会社の社長なんかもいました。

 

宣伝記事の方も頑張って書いたので依頼主様からの評判も上乗でした。

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 ☟実際の宣伝記事。

www.bunhack.com

www.bunhack.com

このように僕は、自分の特技や得意なことを「商品」にして販売し、初心者ブロガー向けのコンサルティングサービスと宣伝記事の作成で合計で4万2000円稼ぎました。

 

だけども、僕は4万2000円稼いでも満足することができませんでした。

 

何故なら、4万2000円稼げる自分なら、もっと頑張ればお金が稼げると思ったし、自分の好きなこと、やりたいことを好きなようにやりたいようにするためには、もっともっとお金が必要だったからです

 

そんな中、とある方からDMが届きました。

 

DMの内容は、Twitterでよくある「ネットビジネスで稼ぎませんか?豊かな生活を送りませんか?」的なネットビジネスの勧誘でした。

 

僕も最初は「どうせ詐欺だろとか、胡散臭いな~」と思ったのですが、この方のツイートを見たり、ブログの内容を見たりしている内に、色々と信頼できる要素があったので、この方と連絡先を交換することにしました。

 

その後のLINEのやり取りで、この方がやっているビジネスをするためには、コンサルティング費用として10万円払わなければいけないことが分かりました。

 

僕は色々な方法を使って10万円を用意しました。

 

そして、その10万円を手元に、そのビジネスを教えてくれる新宿の社長さんに会いに行きました。

 

待ち合わせ場所は、新宿西新宿のとあるオフィスで、僕が先に到着し、あとから社長さんが到着しました。

 

社長さんは、まさか現役高校3年生がコンサルティングを頼みに来るとは思ってもみなかったようで、かなり驚いた様子でした。

 

その後、お約束のコンサルティング費10万円を渡し、社長さんによるコンサルティングが始まりました。

 

コンサルティングの内容は守秘義務契約を結んでいるので具体的にお話することはできないのですが、アフィリエイトサイトを作って集客していくビジネスを教えてくれました。

 

そのため、2か月から3か月ほどかけてアフィリエイトサイトを作っていきました。

 

ちなみに、僕が取り組んでいたアフィリエイトは、アプリアフィリエイトという種類のアフィリエイトで、ゲームアプリを始めとしたスマホアプリの紹介記事を書いて、そこからアプリがダウンロードされると、1ダウンロードあたり500円から1000円貰えました。

 

アフィリエイトを始めた最初の頃は、作業量も多く、ASPと呼ばれるアプリの広告を扱っている会社の審査をいくつかパスする必要があったので、学校が終わったら即家に帰って、毎日6~7時間くらい作業をしていました。

 

その甲斐あってか、アフィリエイトサイト作成は順調に進んで行き、いくつかのASPの審査もパスすることができました。

 

しかし、それらのASPはアプリの案件が少なく、あまり稼ぐことが出来ませんでした。

 

というのも、アプリの案件を多く取り扱っているASPは審査が厳しく、僕は残念ながら審査に落ちてしまいました。

 

なので、せっかくアプリの紹介記事を書いたのに、「広告が張れない!」という状況に陥ってしまったのです。

 

そのため、色々と考えた結果、ライターさんを雇うことにして、記事の量を2倍、3倍に増やして再度審査を受けることにしました。

 

ライターさんは計10人ほど雇い、1記事当たり500円の報酬でアプリの紹介記事を書いてもらいました。

 

中には、あまり質の良くない記事を書くライターさんや、何も連絡せず記事を書くのを辞めてしまったライターさんなんかもいましたが、他のライターさんに頼んだり、報酬をアップさせたり、試行錯誤をした結果、全部で60記事くらいアプリの紹介記事を手に入れることが出来ました。費用は3万円かかりました。

 

3万円」と聞くと高いと思うかもしれませんが、文字単価で言うと1文字当たり0,6円くらいだったので、相場より、かなりリーズナブルな値段です。

 

普通、こういった紹介記事は最低0,8円、高いものだと1文字1円なので、「3万円」というのは破格の値段です。

 

そして、追加で入手した60記事を足して、計80記事くらいで再度審査を受けることにしました。

 

結論から言えば、gamefeatと呼ばれるASP以外は、全部審査をパスすることができました。

 

その時は本当に苦労が報われたと言うか、「やってて良かった!」と強く思いました。

 

それから、広告を張れなかった記事に広告を張ったり、サイトデザインなどを工夫した結果、金額は言えませんが、今までに稼いだことのないくらいの金額を稼ぐことが出来ました。

 

その頃からか、ブログでも自慢げに語ってみたり、学校でも「俺、めっちゃ稼げてるぜ!イエーイ」と調子に乗り始めました。

 

やっぱり人間という生き物は、ちょっと成功してしまったり、人より優れていると思うと奢ってしまう生き物で、自分に酔ってしまい後先のことを考えられなくなるんですね。

 

まぁ、そんなお調子者が長続きするかというと、当然そんなことはなく、担任の耳にも自分がどうやらネットで稼いでいるらしいという情報が入ってしまいました。

 

僕の高校では、最初でもお伝えしたように、夏休みといった長期休暇中のみ申請を出して許可されなければアルバイトをすることができませんでした。

 

これはあまり言いたくはありませんが、こっそりアルバイトをしている生徒もいました。

 

ただ、それに関しては暗黙の了解というか、先生たちも目をつむっている状態でした。

 

しかし、僕の場合は違いました。

 

普通、こっそりアルバイトをするなら、誰にも言ってはいけないし、それを言ったら一発アウトです。

 

ただ、僕の場合、学校で「俺、稼いでいるんだぜアピール」をめっちゃしてしまったんですよね。

 

言うなれば、バイト禁止な学校の中で、「僕、バイトしてます」と大きな声で言っているようなものです。

 

ただ、僕的には「ネットで稼ぐこと=アルバイト」とは思っていなかったので、何のためらいもなく言っていたのですが、やはり「高校生」たるもの、本来学業を頑張るべきところを、あろうことか、ネットで稼ぎ、あろうことかそれを自慢するという、まさに、大バカ者だったんですね。

 

その結果、夏休み期間に行われた三者面談の際に、担任から「本校としては、ネットで稼ぐこともアルバイトであると認識しています。そして、アルバイトは長期休暇のみ以外認めていません。これは校則でも決まっていることです。つまり、あなたは校則に違反したということです。なので二つの選択肢を提示します。

 

一つ目、学校を退学して、このまま稼いでいくか、二つ目、高校卒業まで一切稼ぐことを辞めて、学業に真面目に取り組むか、それ以外の選択肢はありません。

 

いろんなことを考えましたが、その当時の僕にとって「退学」というのはやはりショックが大きかったですし、中卒になるリスクを背負いきれるだけの自信も能力もなかったので、結局2つ目を選びました。

 

その後は、担任も僕の気持ちを分かってくれたみたいで、身分がわからなければ、ビジネスをやってもいいことになりました。

 

退学騒動」から早2か月。僕は迷っていました。

 

このままビジネスを続けるべきか、それとも受験勉強に力を入れて大学受験を目指すべきか。

 

答えが見えないまま1日が終わろうとした夜の出来事です。

 

突然、頭の中をビビッと電気が走ったかのような感じがして、一つの道が開けました。

 

その道は、「会社を立てて、社長になる」というものでした。

 

そこで僕は、社長になるために会社を作ることを決心しました。

 

会社を作るためには、会社を動かしていくビジネスがないといけません。

 

そして僕は、今までの経験をフル動員させてビジネスプランを練りました。

 

練って練って練りまくった結果、一つのビジネスプランを思いつきました。

 

しかし、そのビジネスプランを実現するためには、多額の費用が掛かりました。

 

当然そんなお金がなかった僕は、ネットで色々と調べていくうちに、「エンジェル投資家」と呼ばれる投資家がいることが分かりました。

 

このエンジェル投資家というのは、有望なビジネスモデルを持った起業家に金銭的な支援(投資または融資)をする投資家のことです。

 

エンジェル投資家に投資してもらおう!」と思った僕は、さっそくエンジェル投資家と起業家をマッチングしてくれるサイト(founder)に登録し、僕が考えたビジネスプランを投稿しました。

 

すると、なんと投資家の方から連絡が来ました。

 

合計で9人の投資家の方から連絡が来たのですが、今回は9人の投資家の中でも、一番良かった投資家の方との出会いについてお話ししていきたいと思います。

 

一番良かった投資家の方は、イベント事業を全国的に手掛ける社長さんでした。

 

社長さんとお話をするまでの経緯としては、僕のビジネスプランをマッチングサイトに投稿したところ、その会社の顧問の人が、興味がある旨を伝えてくれて、その後、個別メッセージで色々と日程や場所について話し合って、10月18日の午前10時から東京本社の会議室で面談をすることになりました。

 

当初は、大阪難波のオフィスで打ち合わせることになっていたのですが、僕の活動拠点が神奈川県ということもあり、流石に高校生を神奈川から大阪まで来させるのはあれかと思ったのか、顧問の方が「それでは東京のオフィスにしましょう」ということになって、結局東京に決まりました

 

で、何故会社の顧問の方が僕に連絡をくれたのかと言うと、その会社は人材育成ビジネス・人材派遣に力を入れている会社で、この度、人材育成ビジネスを拡大するにあたり、「誰か良さそうな人はいないか?」と社長さんが社内に呼びかけたところ、僕のビジネスプランを知っていた顧問の方が「こんな高校生がいますがどうでしょうか?」と紹介してくださったんですよね。

 

改めて考えてみるとめっちゃ凄いことですよね。

 

運命というか、ご縁があるというか、人脈が広がるってこういうことなんだな~ってマジで思いましたし、何よりも「良さそうな人」に僕の名前が挙がったことが光栄過ぎました。

 

話を戻しますが、10月18日に社長さんとお話をすることになると分かっていたのに、僕はその日の朝まで事業計画書を全く作っていませんでした。

 

なので、前の晩の夜12時から朝の4時までずっと計画書を書いていたのですが、これがまた大変な作業で、なんせ今までの人生で「事業計画書を書く」なんて経験がなかったのでかなり苦労しました。

 

ビジネスのテーマ決めから、ビジネスプランの概要、そのビジネスの市場規模・ターゲットユーザー、そのビジネスの優位性・将来性・実現性・収益性などなど、書くことが多すぎました。

 

ですが、なんとか大まかに書き終えて一休みしようと寝転んだところ、あっという間に寝てしまいました。

 

そして、朝の7時30分に飛び起きたわけなんですが、ここからがほんと大変でした

 

即効で計画書を印刷して、歯を磨いて、ジャケットに着替えてパソコンをリュックに入れて、もうダッシュで自転車をこぎまくって、駅に向かいました。

 

途中何度も吐き気に見舞われましたが、朝ごはんを食べていなかったせいか、吐くものがなく吐くことができませんでした(笑)

 

こればかりは不幸中の幸いというか、本当に電車内でも吐きそうだったので良かったです。

 

その後も、たび重なる吐き気に襲われましたが、なんとか乗り換えを2回クリアしてやっと現地入りしました。

 

顧問の方からは、オフィスは早稲田町から徒歩5分の場所にあるとのことなので、クソオンボロイドな携帯のマップを見つつ、なんとかオフィス前に到着。

 

そして入り口付近にあった受け付け用電話で到着の知らせを伝えて、奥のオフィスに通してもらいました。奥のオフィスに通してくれた方がその顧問の方でした

 

時間を見ると待ち合わせ前10分を切っていたので、本当にギリギリでした(あと10分でも寝ていたら完全に遅刻でした)

 

そして面談の時刻10時になり、社長さんがノックをしてやってきました。

 

とっさに名刺を交換して着席。

 

社長さんの格好は、シャツにジーパンのラフな格好でした。

 

これは社長さんと2回会って分かったことなのですが、会社を経営している方ってラフな格好の方が多いんですよね。

 

なんていうか、「THE社長」という感じがあまりしないんですよ。

 

これもブランディングなのかは分かりませんが、とにかく皆さんがイメージするようなお堅いイメージはありませんでした。

 

そして、話をすると思いきや、社長さんから「素性の分からない方とお話をするのは、なにかと問題なので、アンケートを書いてください。」と言われて、氏名と住所と電話番号とメールアドレス、それに希望する出資額、出資時期、それと事業内容を簡単に書きました。

 

そしてやっと、面談が始まりました。

 

まずは、僕のビジネスプランの概要を分かりやすく伝え、収益化に至るまでの道筋や具体的な目標などを色々と聞かれました。

 

一応それっぽいことは伝えたのですが、まだ自分の中でも折り合いがついていない部分があり、そこを説明するのが難しかったです。

 

そして、社長さんからは、まず僕のビジネスプランについて「面白い」とコメントはしてくれたものの、ここが流石社長です。

 

僕のビジネスプランの収支計画の詰めの甘さや、僕が希望する出資額である1000万という大金を本当に自分で管理できるのか、他人の金に責任を持てるのか、そして投資する場合は、基本的な条件として、その会社の子会社として社長になり、利益の半分をもらうがそれでもいいのか、といったことをズバズバ言われて、内心ドキドキヒヤヒヤの連続でした。

 

自分の中でも「他人の金を利用する」ということについて深く考えていなかったので、改めて、他人の金を使うことは一体どういうことなのか、を考えるいい機会になりました。

 

その上で社長さんは、「具体的でしっかりとした収支計画書(2年分)を書いて、子会社の社長として独立し、なおかつそのビジネスで得られた利益は折半し、そして1000万という金を責任を持って扱うことができる、もしビジネスが駄目だったら他のとこから借金してでも返すくらいの覚悟があるのであれば、稟議にはかけます」と言ってくれました。

 

いや~18歳の僕にとって、提示された内容がえげつないというか(起業するなら当たり前なのかもしれませんが)、話の内容のレベルの高さが異常でした(笑)

 

こ、これが「投資を受ける」「他人の金を使う」ということなのか・・・」って15回ぐらい思いました。

 

その後は、社長さんの会社のお話になり、今までに100名ほど起業家を輩出してきたそうです。

 

中には年商が80億を超える方もいるらしく、上手く言った人は最低でも年商1億は達成しているそうです。

 

ですが、全員が全員上手く行っているわけではなく、60人ほどは駄目になったようです。

 

やはり起業というのは思っていた以上に厳しい世界のようです。

 

そして最後に社長さんからは「18歳でこんなことができることは凄いことだし、俺も21の時に独立したが、高校生の頃はこんなことをやってはいなかった。そして、もし覚悟を持ってやるのであればうちは歓迎するし、ビジネスに年齢は関係ないからそこは大丈夫。もし、やるとなれば最年少記録になるのでうちのブランドにもいいからね」と言ってくれました。

 

そして、最後にしっかりとお礼を伝えてオフィスを後にしました。

 

この社長さんとの出会いに感銘を受けた僕は、4日後に学校を辞める決断をして、その12日後に学校を辞めました。

www.bunhack.com

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なぜ学校を辞める決断をしたのかというと、一番の理由は今取り組んでいるビジネスを成功させて、お金持ちになりたかったからです。

 

そのためには、やはり集中できる時間、環境を作る必要がありました。

 

最初は、学校に通いながら並行してビジネスに取り組んでいくことも考えましたが、「二兎を追う者は一兎をも得ず」という言葉があるように、学業で成り上がるためにはビジネスを捨てなければいけないし、ビジネスで成り上がるためには学業を捨てなければいけませんでした。

 

そして僕は、「学業とビジネス」、この2つを比べた時にやはりビジネスで成り上がりたいと思いましたし、ぶっちゃけ、もう学歴はいらないかなーと思っていたので、ビジネスを取ることにしました。

 

その後僕は、「学校を辞めてビジネス1本で生きていきたい!」ということ親に伝えました。

 

最初は勿論反対されました。

 

そりゃそうですよね。

 

急に自分の息子が「学校を辞めて、ビジネスで生きていきたい!」なんて言い出したら心配でたまりませんからね。

 

しかし、最初は反対していた親も、僕の度重なる演説と熱心な想いを理解してくれたのか、最終的に僕が学校をやめることを認めてくれました。

 

そして、担任の先生にも僕が学校を辞めて、ビジネスで生きていきたいということを伝え、学年主任、担任、父親、僕を交えた4人で面談をすることになりました。

 

面談では、まず、なぜ学校を辞めてまでビジネスをやらなければならないのかについて僕が説明し、その後、学年主任や担任から、学校を辞めた後は具体的に何をするのかとか、本当にそのビジネスで生きていくことは可能なのか、といった質問が出たので、僕がその質問に答えていく形で面談は進んでいきました。

 

1時間ぐらい面談をした結果、学年主任も「学校を辞めても大丈夫だろう」と判断し、担任の先生から退学願をもらい、その日は終わりました。

 

そして家に帰宅後、退学願に正式に退学する旨を書き、翌日提出しに行きました。

 

これがその時提出した退学願です。

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退学願を提出してから、17日後の11月30日に退学願が受理され、僕は無事に学校を辞めることができました。

 

それと同時に、「高校生ブロガー」としての活動を終え、「中卒ブロガー」として新しく活動し始めました。

 

また、時を同じくして、今やっているすべてのビジネスを終了し、新しいビジネスを始めることにしました。

 

何故なら、今までやってきたビジネスというのは、必ずどこかで限界が来て、いずれ稼げなくなることが予想できたからです。

 

そして、僕が新しく始めたビジネスというのが「FX」。

 

つまり投資でした。

 

FXってのは、「外国為替証拠金取引」と言うように、国と国があってこそ成り立っているビジネスです。

 

つまり、FXがなくなる時は国がなくなる時で、国がなくなる時は私たちが危機的状況に立たされた時です。

 

危機的状況というのは、世界中の国が核戦争をするとか、宇宙人が侵略してくるとか、隕石が衝突するとか、地球規模の大惨事です。

 

普通に考えてそんなことは起きないですよね?

 

だから、FXを始めたのです。

 

FXに限らず、投資というのは、一度その稼ぎ方を身に着けてしまえば、基本的にずっと稼ぎ続けることができます。

 

これは非常に大きい利点でした。

 

ブログやアフィリエイトというのは、検索順位によって収益が大きく上下するビジネスです。

 

つまり、Googleの影響を直に受けやすいビジネスなんです。

 

なので、Googleがちょっと検索アルゴリズムを変えるだけで、アクセス数がとんでもないことになります。

 

それに今は「人生100年時代」と言われているように、長生きする時代になりました。

 

これはつまり「100年目線」で人生を考えなければいけない時代になったということです。

 

10年目線ではありません。100年目線です。

 

そして、「100年目線」でネットビジネスを俯瞰した時に、ブログやアフィリエイトは、必ずしも人生100年時代に相応しいネットビジネスであると言えなかったのです。

 

もちろん、試行錯誤をしたり工夫したりすることで、ブログやアフィリエイトでも稼ぎ続けることが可能になるのかもしれません。

 

しかし、いつGoogleの影響でアクセス数が0になるのかもわからないものに対して時間とお金と労力を投資する方が、FXに投資するよりもリスクが大きいと僕は思ったので、ブログやアフィリエイトを一旦切り、FXに人生をかけることにしました。

 

まず最初に僕は、無料で得られる情報を徹底的に活用しました。

 

何故なら、FXに関する基本的なことは、本を買わなくてもググれば色々と出てくるからです。

 

そして、Googleさんの度重なる検索アルゴリズムアップデートにより、検索結果で得らえる情報の質は年々アップしていました。

 

これはFXを勉強する上で非常に大きなアドバンテージになりました。

 

何故なら、FXを始めとした投資は、勉強すればするほど分からないところが沢山出てくるので、その都度調べる必要があったからです。

 

無料の情報を徹底的に活用し、知識を頭に叩き込んだら、今度はチャート上にインプットした知識をアウトプットしていきました。

 

具体的には、チャート上にYouTubeやサイトで学んだインジケータを表示して、実際に相場をテクニカル分析で読み解いていきました。

 

そうすることで、学んだ知識を確かなものにすることができたからです。

 

また、動いている相場を実際に分析することで、新たな発見や逆に分からない箇所をたくさん見つけることができました。

 

そして、分からないところが沢山見つかったら更にググり、どんどん投資の知識を着実に増やしていきました。

 

また、デモ口座を利用して実際にエントリーして、「動いている相場でエントリーする」という経験も積んでいきました。

 

しかし、最初は楽しかったFXの勉強も、知れば知るほど分からなくなっていき、FXが分からないことによるストレスと稼げないことによるストレスのダブルストレスにぶちのめされてしまいました。

 

ただ、時を同じくしてサインツール開発を始めようとしていたこともあり、やめるにやめられませんでした。

 

そのおかげもあって、FXから逃げることはありませんでした。

 

その後、ある程度投資の勉強をしたことで、「こんな時はここでエントリーするといい感じになる」とか「ここはこうだから、エントリーはしない」というように、裁量トレードができるようになってきました。

 

そして、更に裁量トレードを続けていくと、「ある特定の条件に合致するとこういう結果になる」という事実が見えてくるようになりました。

 

これこそが自分オリジナルの手法の発見でした。

 

そして、そういった手法を編み出せるようになった僕は、手法の条件を箇条書きにしてまとめて、手法の検証を行いました。

 

つまり、「この手法は使えるかどうか」見極めたのです。

 

その後、僕は使えそうと思った手法をプログラマーさんの協力の元、サインツール化していきました。

 

ちなみに僕は、今までに合計10本のサインツールをプログラマーさんと一緒に作ってきました。

※『ぶんちん君』『ぶんちん君2号』『ぶんちん君3号』『ぶんちん君Z』『ぶんちん君α』『ぶんちん君β』『ぶんちん君γ』『ぶんちん君δ』『ぶんちん君ε』『ぶんちん君ζ』。

 

その後、『ぶんちん君γ』を作ったあたりから、かなり相場が読めるようになり、『ぶんちん君δ』『ぶんちん君ε』『ぶんちん君ζ』と立て続けに3本のサインツールを作った時に、やっと「こういう状況なら相場が上がる、下がる」と分かりました。

 

ただ、まだ不安要素があったので、そこから15時間くらいチャート観察をしながら、サインツールのエントリーポイントを見極める作業をしていきました。

 

その結果、『ぶんちん君δ』と『ぶんちん君ε』を使ったトレードに行き着き、独自の判定基準を導き出して、3か月という短い期間でFXを攻略することができました。

 

しかし、独自の判定基準に合格したエントリーポイントはなかなか出現せず、パソコンの前でずっと座っていなければ来ないという時がザラでした。

 

それに嫌気がさした僕は、FXで稼ぐことを諦め、ぼーっとする毎日が続きました。

 

そして、2週間ぐらいが経った4月16日のこと。

 

夜、布団に入って「100円の水を1000円で売る方法」を考えていた僕は、突如、アイディアを思いつきました。

 

それは「質問チケット」という新しいサービスでした。

 

質問チケット」に可能性を感じた僕は、すぐさま会社を建てることを決心し、ベンチャーサポート税理士法人という会社設立を支援している会社に向かい、会社を建てることを正式に決定。

 

そこから色々と手続きを踏み、5月24日に「株式会社ぶんちん」という会社を建てました。

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今は、「質問チケット」を開発してくれる会社さんと打ち合わせしながら、少しずつサービスを開発している途中です。

 

これにて、僕の自己紹介を終わりたいと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。